丹波ワインことはじめ

ワイン造りは日本酒の酒蔵からはじまりました

丹波の夕日は空を真っ赤に染めます。
ワイナリーのある豊田は以前豊田村と呼ばれ、別称「紅村」と言われていました。立杭焼きの粘土質の赤土の色、夕日の色などで村全体が夕方には紅く染まることから名付けられたなどの諸説がありますが、非常に美しいです。
サンセットや日没と呼ぶより、まさに「日の入り」と呼ぶことこそふさわしい、厳かな風景です。

ここ京都丹波で1979年に創業した丹波ワイン。

最初の醸造所は日本酒の酒蔵でした。

ワイナリーは日本酒蔵からはじまりました

京都丹波で現在のワイナリーから車で10分ほど走った白壁の趣のある日本酒蔵をお借りし、タンクなどもそのまま使ってぶどうを仕込み始めました。 赤ワインも開放タンクで櫂入れをし、果帽をワイン中へ押し込んでいきます。酒蔵の長年住み着いた麹や酵母もワインに影響を与えたのかもしれません。 時折、お客様から「日本酒のニュアンスがある」と言われたりします。 1979年の創業です。

食文化の延長線のワイナリー

創業当時、照明器具メーカー社長であった黒井哲夫が、海外で駅のホームやカフェで気軽に愉しめるワインの旨さに驚き、そのワインを日本へ持ち帰りました。しかし、海外で味わったワインも日本で味わうと何かが違う…。何度試しても同じ結果。そこには臭い、言葉、気候、調味料などによって自然に形成された食文化こそが重要であることに気づきました。

そこで今まで勤めてきた会社を辞め、私財をなげうって自ら日本、京都の食文化に合うワイン造りを目指しました。

熱い想いの同士が集まった

ワイナリーは京都市の北西約50Kmに位置し、丹波で生食用葡萄農家経営者であった 山崎高明と黒井哲夫2人が中心となって設立。醸造技術者として、当時山梨の洋酒工場に勤務していた大川勝彦が参加しました。 当初は丹波の山崎が経営する葡萄園から産する生食用葡萄(デラウェア、マスカットベイリーA等)を使ってワイン仕込みを行いました。山崎の長男である山崎高宏が、3年間ドイツのガイゼンハイムのH・ベッカー博士のもとへ留学し、それとともに年を追ってヴィティス・ヴィニフェラ種と呼ばれるワイン醸造用の葡萄の栽培を丹波の自園で手がけるようになりました。

ワインコンテスト受賞

1984年にスペイン・マドリードで開催された世界食品コンテストのモンドセレクションのワイン部門にて「鳥居野」が金賞を受賞し、その後6年連続で金賞を受賞し続けました。

日本の和食に合わせるために栽培・醸造したワインが世界的にも初めて認められました。

また、最近では2004年に開催されたジャパンワインチャレンジでシャルドネが銅賞を受賞、2005年、2006年と2年連続チャレンジインターナショナルデュヴァンで銀賞、国産ワインコンペティションで銀賞、銅賞を受賞するなど、世界を視野に入れたチャレンジが続いています。

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